しくじり先生、新庄剛志 その3/3 (いよいよ北海道へそして引退)

2017年2月20日放送の「しくじり先生」に登場した新庄さん。自身の野球人生を振り返って語ってきました。スターになりたくて、FA後にメジャーに移籍。3年間でワールドシリーズもマイナー生活も経験しました。

2004年日本球界復帰、新庄剛志が選んだのは、北海道日本ハムファイターズ

2004年日本に戻ることになりました。日本の球団から沢山オファーを受けた新庄さん。最初にオファーを受けたのは巨人の原監督から。
ただ、自分が阪神にいたので、天敵の巨人には行きづらかったそうです。その他たくさんの球団からもファンがありましたが、その中で、日本ハムが北海道に移転するということを聞いて「これはおもしろい」と思いました。

新庄 「俺一人でどれだけチームを変えられるのかな。俺一人でどれだけ北海道を変えられるのかな。」

アメリカ生活で苦痛に感じていた英語から解放されたと思って、日本ハムに行ってみたら、監督がヒルマンでした。また英語かと思ったそうです。

入団に際して、「入団発表は、札幌ドームの真ん中でしたい」と申し出ました。「僕を応援してくれる人をフリーで入れているてくれ。」ということを要望したそうです。
その時来てくれた人数は2200人。やっぱり22という数字。

新庄 「そして、ファンを喜ばせるために新庄劇場というのを自分で作り上げてやってきました。」

新庄劇場として有名なのは被り物をして登場するパフォーマンス。チームメート引き連れてゴレンジャーに扮してみたり。時にはスパイダーマン。スターウォーズのダースベイダーの格好をし、そのまま始球式をしたこともありました。これにはファンも大喜び。

中でも一層奇抜だったのは意味不明な被り物。口の中に口がありその中に新庄さんの顔があるようなもの。その奇抜な被り物は600万かかったそうです。「死霊のはらわた」(1981年公開の映画)を作った人を呼んで、作ってもらったそうです。お金は全部自腹!!

また時にはドームの地上50メートルの高さから登場するなどあの手この手でファンを楽しませていました。3ヶ月前から入念に打ち合わせや準備をしてきたそうです。上から降りてきたのは、ワイヤーの取り付けなどは自分でやり、リハーサルなしだったとのこと。

新庄 「このパフォーマンスは監督にオーナーにも言ってませんから。言うとだめに決まっているから。失敗したら、死んでしまうから。」

一番怒られたのはタイガースとの試合のときに、タイガースのロッカーに行って係りの人に「僕のユニホームはありまりますか」と聞いて、あるよということだったので、それを日ハムのシートノック始まる前に着て出て行ったことがあったそうです。場所は甲子園。外野スタンドはとても盛り上がりました。

ヒルマン監督は、まじめな顔で「なんでお前は向こうのユニホームを着てノック受けてるんだ。」と怒ったそうです。ヒルマン監督は新庄さんが元阪神タイガースの選手だったことを知らなかった。新庄さんは、しっかり謝ったそうです。でもそのあとに、「でも今後もやらせてくれ。」と頼んだそうです。

メジャーと日本ハムを6年間で稼いだ金額は約44億円になりました。
生徒さんが指摘していましたが、
FAの時、国内の12億円を蹴ってメジャー移籍の2200万円を選んだことで、44億になったっていうことです。

新庄さんは、パフォーマンスをするタイミングも十分に考えていたそうです。パフォーマンスをするのは、相手が一番だめなピッチャーの時。
新庄 「パフォーマンスをして負けると、もうやめろということになるので絶対に勝たなければいけない。すごい計算をしていた。」

2006年に引退。その年は、開幕して10日目に「辞める」と宣言しました。
新庄 「引退を言うことによって、どこの球場に行っても僕の最後のユニホーム姿を見に来てくれると思いました。日本ハムの選手は球場が満員の経験があまりないから、、、。満員の球場でプレーすると、若い子たちは自分の力以上が出せる。最初の頃は、すごい選手なのに満員になると全然打てなかったりしてたのが、慣れてくるとガンガン打ち出す。チームも盛り上がっていく。」

気が付いたらリーグ優勝。それも計算していたこと。「満員だぞ。ここで活躍してみい。」と一人一人に言っていたそうです。確かに、当時「満員計画」のようなものが何度もありました。確かに新庄さんの発案だったと記憶しています。”満員”ということに、新庄さんの強い思いがあったんですね。これを聞いて、納得しました。

引退後に発覚!金銭トラブル

17年の現役生活が終わった時新庄さんが思ったことは、「明日から何して遊ぼうかな。完全燃焼したし。44億稼いだし、税金半分22億円引いても22億円残るし。」ということだったようです。

そのころCM撮影で行った場所がパリ。パリでは新庄さんのことを知っている人はいませんでした。のびのび過ごせることを感じて、「この島だ!」と思ったそうです。すぐにパリに住むことを決定。

新庄 「自由が欲しかったので、決断しました。妻と別れよう。メール離婚。『ほんとに悪いんですけど、自由になりたい。今日からバリに住むんで離婚します。』」

生徒の関根勤が、テレビで元奥さんの話を聞いたことがあるそうです。
「メールできました。でもああいう人だから仕方がない。」というお話しだったとか。
新庄 「いい子なんですよ。」
慰謝料はA さんから払われました。

そしてお金は、「全部バリに持って行こう」と思ったそうです。Aさんに会いました。「お金の管理今までありがとう。」と言って、いくらかは渡して、あとは全部持っていくつもりでした。残高を見るとなんと、2200万しかありませんでした。Aさんを問い詰めると、Aさんは会社の資金に使っていたとのこと。Aさんは沢山会社持っていて、新庄さんの稼いだお金をどんどん会社につぎ込んでいたそうです。

新庄さんはは何もチェックしていないからその時まで気づきませんでした。
新庄 「自分は(任せきりで)楽しくやってきたけど、これはないだろう。返してほしいと言っても拒否。弁護士に相談して裁判を起こしました。帰ってきたお金が8000万円。」

「わいたこら」と叫んだとか、叫ばないとか。

たった2200万円と8000万円が戻ってきただけ。残りを取り戻しいと思いましたが、2012年にAさんが破産。裁判終了となってしまいました。日本のルールでは、それですべておしまいです。

新庄 「17年間調べてないっての自分のミスだけど、、、Aさんとすごく仲がよかったし。Aさんは僕のことを息子と思ってました。金額より裏切られた方が悔しいと言いますけど、両方です。他人に任せた僕が悪いし、責任は僕にある。でもふとした時に、、、僕が一所懸命活躍していたところとか見てるのに、、、」

「競技に集中するからお金の管理は二の次になってしまった。年に1回、2回はチェックしたほうがいいなと。僕はこの番組を見ながらものすごく言いたかった。」

<<<新庄先生からの教訓>>>
・貯金や資産は定期的にチェックしよう。

しくじりを乗り越えるヒントを得ようということで、現在のバリ島での生活ぶりが紹介されていました。
バリ島での密着 VTR です。そのテーマは、「新庄剛志の ”しくじりTSU-2ライフ” 大金を失って気づいたこと」
お金のことについては超マメだということです。

—バリでの様子—

新庄さんはスクーターで現れました。向かったのは、銀行のATM。かつては貯金残高さえ知らなかった新庄さん。現在では自分で現金を下ろしています。そして向かったのは庶民的なスーパー。最近かけているサングラスは、そこで売っている500円くらいのもの。「靴とかもこの辺の買います。」
衣料品も、スーパで購入。「結構いいのもあるんですよ。ズボンもこういうのを買います。1回色を落として自分で染めて作ります。シャツも他のものを買ってポケット付け替えたり。」
その日のトータルコーディネートは、3800円くらいだそうです。スーパーの衣料品でコーディネートしています。

値段を気にしながらフルーツを買ったりしています。スーパーのレジ係と顔なじみのようです。

次に足を運んだのは食堂。焼き飯、焼きそばなどを自分で支払いして、釣りもちゃんともらっています。

昼食後はマッサージ店に。優雅に過ごしているようですが、1時間300円くらいとリーズナブルな値段。

————————————————————————————-

億単位のお金を失った新庄さん。
新庄 「騙すよりだまされるほうがいいって言いますけど、今はだまされる方が嫌だなと思います。だまされない方がいいなって。」

「22は悪魔の数字ですか」というスタッフの問いかけに
新庄 「10年前は好きじゃなかったかな。でも、好きな番号に変わっていってるから、ラッキーナンバーにしていきたいかなと思っている。」

新庄さんのこれからの人生について、「ずっとバリで生活?」というスタッフの問いかけに
新庄 「そんなことないですよ。こっちに住むなんて以前は全然考えてなかったし。1日で変わるんですよ、僕は。この撮影が終わって明日ベネズエラ行こうかなと思ったら行くし、イタリア行きたいなと思ったら行くし、福岡帰りたいなと思ったら帰るし。自然に。自然にね。
今日が楽しかったらいいという毎日を過ごせたら、一番幸せかなと思う。」

ナレーションがまとめに入りました。
「過ち、裏切り。人生の痛みを受け止めこれからは笑って生きる。本当の新庄劇場は、今始まったばかりなのかもしれない。」

新庄 「たまに22億あったらなぁって思うんですよ。思うんだけど切り替えた。思ったことは・・・『また稼ごう!!』これからは毎日楽しく生きるだけ。」

「指導者には興味がないんですか」という質問には
新庄 「ありますよ。俺、世界一うまかったのに。守備は。それならに1回もオファーがない。」

生徒役のテニスの杉山さんが言っていました。
「すごく上手い人は教えられない。」

新庄 「福本さんがそうだったんです。」(福本さんは、1970年から80年代に活躍した盗塁王。)
「盗塁に興味を持ち始めて、福本さんに僕盗塁します。足速いんで。教えてください、と言ったら裏に来いといって指導してくれました。」
『こうやって構えるやろ』
『ピッチャーの左足見るやろう』
『GO!』
「それだけでした。」

「新庄さんが守備を教えるとしたらどうするんですか?」という質問に対し、
新庄 「ボールを持つやろう」
「力抜くやろ」
「ヴぇん」

結局は、感覚的になってしまうということでしょうね。

生徒役、ボクシングの井上チャンピオンも「そうなりますね。感覚なんで。」と言っていました。

<<<新庄剛志先生のしくじり>>>
お金の管理を人に任せすぎた

<<<新庄先生の教訓>>>
なくした物戻らない。気持ちを切り替えた。また稼ごう。

—————————-
日本ハムが北海道に移転した当時のことを思い出しました。函館オーシャンスタジアムでの試合も覚えています。外野席から眺めた新庄選手は”華”がありました。やっぱりオーラが出ていました。ファンサービスも一生懸命で。ただ、「しんじょー」と呼び捨てにされるとあまり反応はしませんでした。「『しんじょーさーん』と言わないといけないよ」と周りの人に教えられたものです。
「よく北海道に来てくれたな」と思ったことがありましたが、「俺が変えてやる」という思いでいたんですね。そのことを今回初めて直接聞きました。北海道に日本ハムが定着したこと、新庄剛志氏の功績は大だと思います。ありがとうございました。

金銭トラブルのことも初めて知りましたが、最終的には明るく前向きに過ごしているようで、ホッとしました。変な方向に行かないで、また稼いでほしいと思います。応援しています。

前の記事
しくじり先生 新庄剛志 その2/3 (メジャーに挑戦)

その前の記事
しくじり先生に新庄剛志氏登場!その1/3 面白かった。