春眠暁を覚えず(しゅんみんあかつきをおぼえず)の本来の意味とは

ただでさえ昼食後は眠気が来るのに、春めいてくると眠たさが強くなるような気がします。つい欠伸も出たり。
そんな時「シュンミンアカツキヲオボエズだから、、、」と言ってしまうことがありました。ただ、その使い方はどうやら正しくないようです。曉(あかつき)ですからね。昼に眠くなる場合には、本来使えない言葉です。

学校で習うことも多い「春眠暁を覚えず」ですが、改めて本来の意味を確認してみました。この句が含まれるのは「春暁」という漢詩です。

「春暁」(孟浩然)の意味内容

前野直彬編 「唐詩鑑賞辞典」(東京堂出版)より

 題名:春暁(しゅんぎょう)  作者:孟浩然(もうこうねん)
春眠不覺曉  春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚(おぼ)えず
處處聞啼鳥  処処(しょしょ)に啼鳥(ていちょう)を聞(き)く
夜来風雨聲  夜来(やらい)風雨(ふうう)の声(こえ)
花落知多少  花(はな)落(お)つること知(し)る多少(たしょう)


快い春の眠り、うっかり寝過ごして夜の明けたのも気がつかぬ
床の中でうとうとしていると庭のあちこちから鳥たちのさえずりがきこえてくる
さて昨夜は風や雨の音がしていたのだが
咲きほこっていた庭の花はどのくらい散ってしまったろうか。

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孟浩然という詩人が作った「春暁」という詩の第一句が「春眠暁を覚えず」です。「春の眠りは気持ちがよくて、なかなか目が覚めない。寝過ごしてしまいがちだ。」という意味ですね。
「春眠」は昼の眠気ではなくて、朝、なかなか床から出られないということを表しています。

床の中で、鳥の鳴き声を聞き、昨日の嵐のことを思い出す。庭はどうなったのかなと思いを巡らせる、、、まったりとした春の朝の様子です。
慌てて飛び起きて、身支度をするという”せわしさ”はありません。

作者、孟浩然のこと

ものの本によると、作者、孟浩然は一時期、科挙(公務員試験のようなもの)の試験に合格することを目指したようです。多くの知識人と同様に、”高級官僚になって活躍したい”と願ったようです。しかし、受験に失敗。その後、一度地方官吏になったことがあったようですが、辞任しました。
その人生の大部分を故郷の自然の中で、過ごした孟浩然。どうやって食っていたのかはっきりとわかりませんが、悠々自適だったようです。そんな孟浩然だからこそ「春暁」を作ることができました。

当時の中国の役人生活も、時間や規則にきつく縛られていたらしく、朝のんびりと床の中ですごすということはできなかったようです。おそらく、この詩を読んだ多くの中国人も「うらやましいなあ、、、」と思ったことでしょう。kojiも本来の意味を知って、布団の中でゴロゴロして過ごせる日が欲しいなと思いました。

土岐善麿「鶯の卵」より

明治時代の人、土岐善麿(ときぜんまろ)は歌人、国語学者。石川啄木の友人でした。啄木のことを支えた一人です。その土岐善麿は漢詩にも造詣が深く、「鶯の卵」という漢詩を日本語に訳した詩集を出していて、その中に、「春暁」もありました。リズムもよくて、なかなかいいなと思いました。

はるのあけぼの うすねむり
まくらにかよう とりのこえ
かぜまじりなる よべのあめ
はなちりけんか にわもせに(庭一杯に)

ちょっと変わった解釈

調べている中で、「ただ春の朝の眠たさや、自然の事を読んだのでなくて、裏の意味があるのだ」という説を見つけました。
「激しい恋の一夜を過ごした」翌朝の心境なのだという説です。孫引きになりますが、、、

ある春の夜、孟浩然は友人に連れられて蘇州の妓楼に泊まった。
彼は科挙に落ちて失意のどん底にあった。友人の紹介で蘇州一の名妓
小真娘とめぐり合った孟浩然は激しい恋の一夜を過ごした。
 その時に詠んだのが、かの有名な『春暁』であると荘魯迅氏はいう。

荘魯迅という名前を初めて知りましたが、上海生まれのシンガーソングライターで来日後、日本語も習得して、日本人向けの漢詩の入門書などを執筆している人でもあるそうです。

ここには、「春暁」も取り上げられています。