「ごだごだ」の由来について
「ちょっと仕事でごたごたして」…とか「会議が長引いてごたごたした」とか、普段当たり前のように使っているごたごたという言葉。音的には何となく状況のニュアンスに
合いそうな言葉ですが、元々ごたごたって何なのでしょうか。そのルーツが気になって調べてみました。
大きく2つの説がある
人名からきているという説
1つは人名からきているという説です。名前は兀庵普寧 (ごったんふねい)という臨済宗のお坊さん。
この人は鎌倉時代に、北条時頼に招かれて、南宋から日本にやってきました。大変徳の高い僧だったのですが、周囲をあまり考えない「わが道を行く」タイプだったようです。延暦寺で行われた歓迎式典の法会で、ご本尊の前に進んだ兀庵は礼拝せずに、自分より位の低い菩薩が下りてきて自分に挨拶するのが筋だと主張しました。異国で多くの禅僧が見守る中、「郷に入っては郷に従え」の日本人にはなかなか言えません。
また、兀庵の説教は理屈っぽくて時間が長く、とてもわかりずらいものでした。聞けば聞くほどわけが分からなくなってしまうことから、込み入った複雑な様子を「ごったんのようだ」→「ごたごたしている」と呼ぶようになったそうです。
「骨董」からきているという説
もう1つは「骨董」説です。
骨董はもともと、種々雑多な古い物という意味で、昔はそれらをまとめて入れておく骨董箱というものがあったそうです。いろんな物がごちゃごちゃ入ったこの箱は、「ごった箱」と短く呼ばれるようになり、そこから、箱の中のような状態をごたごたと呼ぶようになった、という説です。
兀庵(ごったん)の日本滞在期間は5年!
兀庵という人には興味を持ちました。この方、日本には5年しか滞在しませんでした。時頼がなくなって1年後には宋に帰っているのです。そんな短期間で、今も使われる言葉の語源になったとしたらすごいですね。兀庵が日本に来たのは1260年ですから、750年以上も他国の言語に影響を及ぼしていることになります。当時の人たちには、規範や慣習よりも自分の信念を貫く兀庵に衝撃をうけたことでしょう。対応に困ったことも想像に難くありません。
現代においても兀庵の評判はあまりよくなさそうです。ごたごたの由来について調べていると、「兀庵みたいな人は迷惑な存在だった云々」という記述をよく目にしました。今風に言うとK.Y(空気を読まない人)に感じられてしまうエピソードが多いからでしょうか。
しかし当時、大陸からの渡来は命がけの大旅行です。いくら時の権力者に請われたからといって、おいそれとできるものではありません。宗教人としての覚悟や信念があればこそ。兀庵は気概のある人物だったものと思われます。もしかしたら、言葉の問題などでその真意が伝わらないこともあったのかもしれません。文化の違いによる摩擦というのは、現代でも解消されていませんね。
意外と多い仏教が語源の言葉
仏教が語源の言葉はたくさんあることが、今回わかりました。「ごたごた」と同じように今では漢字で表記されないものもあります。
「ガタピシ」「ガタガタ」
立て付けの悪い引き戸を開け閉めするときの音を「ガタピシ」や「ガタガタ」と表現しますが、現在では、スムーズに動かない物や組織、身体などにも当てはめて使っています。元々は仏教語の「我他彼此(がたひし)」が語源で、「我」と「他」、「彼」と「此」を区別するという意味だそうです。2者を区別するという概念は、仏教では対立を生むものとして克服すべきものであり、我と他がぎくしゃくしてうまくいかないこと「我他彼此」、もしくは「我他我他」といいます。
「ウロウロ」
目標や目的もなく、あっちこっちふらふらする様を表現しますが、うろは仏教語の「有漏」が語源です。「漏れる」ものが「有る」ことなのですが、漏れるのは「煩悩」で、それによって心が乱れ、どこへ行っていいのかわからなくなってしまうという意味だそうです。ちなみに漏れる煩悩がない状態は「無漏」といって、悟りをひらいた状態。
結局のところ、煩悩にまみれながらウロウロするのが、楽しいのかもしれないと、ふと思うのでした。