先日ラジオを聞いていたら、「2月19日はスカイ・ハイの日です。」と言っていました。すでに定着した記念日ではなくて、”これから、広げていきたい”ということのようです。『スカイ・ハイ』といえば、プロレス。なんと懐かしい! そして、元日本ハムの二岡智弘。これまた渋かった。

今から40年前の1977年2月19日に、日本テレビが”仮面貴族”、ミル・マスカラスの登場曲として『スカイ・ハイ』を流したそうです。この『スカイ・ハイ』は元々は映画のテーマ曲。イングランドのバンド、ジグソーの曲です。75年にアメリカではビルボード3位になりました。ただ日本では洋楽が好きな人が知っているという程度の認知度だったそうです。それが、この2月19日以来、ミル・マスカラスのテーマ曲として大ブレイク。日本中に浸透して、77年のオリコンのシングルチャートで2位にまで上がりました。

下降線だったミル・マスカラスの人気は、『スカイ・ハイ』の影響により復活。そしてミル・マスカラスが活躍することで『スカイ・ハイ』が売れるという好循環となりました。”『スカイ・ハイ』がプロレスと音楽の融合がはじり”という人は多いです。

『スカイ・ハイ』が日本でブレイクするきっかけになった日、2月19日を『スカイ・ハイ』にしようと提案している人たちがいるということなのです。

ミル・マスカラスはまだ戦っているらしい

この記事↓ は2016年11月28日のことです。ミル・マスカラス74歳。リングに立っているのでした。すばらしい。
74歳ミル・マスカラスが大飛行で論外圧殺!41年保持の王座防衛

リングネーム、ミル・マスカラとはスペイン語で「千の仮面(マスク)」という意味です。その名の通り、試合毎にマスクを変えることから “千の顔を持つ男” と呼ばれました。日本では最初、覆面レスラーを見慣れていない人達が “悪魔仮面”と呼ぶこともあったそうですが、のちに華麗な格闘スタイルと華やかな仮面により、”仮面貴族”と言われるようになりました。

仮面について、wikipediaの記述がわかりやすいので引用します。

日本では入場時に、試合用マスクの上から別のマスク(オーバーマスク)を更に被り、試合前にそのオーバーマスクを客席に投げてファンにプレゼントするパフォーマンスが人気を集めた。また、全日本プロレス中継の視聴者プレゼント用にマスクを提供することもあった。別のマスクを被る時は顔を隠しながらアゴのあたりからスルッと(2枚のマスクで頭を包むようにして)被り直す特技もあり、絶対に素顔を晒さなかった。

プロレスラーとしての戦績など、kojiは詳しくないので、知りたい方はwikipediaなどを参照してください。
wikipedia「ミル・マスカラス」

プロレスとヒット曲

『スカイ・ハイ』は実は失恋の歌。サビは”君は僕の思いを空高く吹きとばす”というようなことでしょうか。
この動画を見ると、内容がわかります。

この『スカイ・ハイ』をきっかけに、プロレスと音楽は密接に関係するようになっていきます。プロレスファンならたくさんの登場曲を上げることもできるでしょう。プロレスファンとは言えない私kojiでも、記憶に刻まれている曲が、『スカイ・ハイ』以外に2曲あります。

ファンク兄弟の曲、『SPINNING TOE-HOLD(スピニングトーホルド)』。これはスピード感があって、曲としてかっこよかった。
日本のロックバンドであるクリエイションがファンク兄弟が得意としていた技のスピニング・トーホールドをイメージして製作した楽曲。
オリジナルではないですが、YouTubeで多く視聴されている動画は↓  楽器をやる人も興味深いと思います。

アマゾンでは、ダウンロード250円でダウンロード販売しています。

もう一つは、ビューティーペアの『かけめぐる青春』。一世を風靡しました。当時、どの世代もみんな知っていたと思います。
これは1976年の曲。

昭和とテレビとプロレス

『スカイ・ハイの日』という言葉をきっかけに、昔のことをちょこっと振り返ることになりました。40年前の1997年。自分に当てはめてみると、1970年=昭和45年、大阪万博の年に小学校入学している(いつもこれが基準になります)ので、1997年は昭和52年で、中学校2年生。毎日、部活(野球部)に明け暮れていました。

テレビは一家に一台。どの家も、家族みんなが同じ番組を見ていました。歌番組、時代劇、クイズ番組、「笑点」、プロ野球、大相撲、プロレス。ニュースや天気予報も。世代が違っても共通の話題がなにかしらあった時代。家族団欒という言葉がリアルだった時代。私たちは「みんなで一つの画面を見つめることができる」という感覚が身に染みている世代だなと思います。
現代は、テレビも多チャンネル化しました。何より、ネットを介して一人一人が自分の手元に好きな情報を表示することが出来ます。時代の一体感というものが希薄です。寂しいと感じることもありますが、そればかりでは仕方がありません。ネットのおかげで、昔を懐かしむことができる時代ともいえます。

これからは、テレビ(映像コンテンツ)を中心としない家族団欒や、共通の感動体験を意識的に作っていかなければならないと思います。”ライブ”が大事。
東京オリンピックは(直接会場に行けるかどうかはわからないにしろ)、日本人にとってライブ感を感じることが出来るとても大事なイベントだろうと思います。賛否はいろいろありますが、2回目の東京オリンピック、盛り上げたいと思います。
オリンピック後、「1回目の東京オリンピックの時は1歳で何もわからなかったけど、2回目の東京オリンピックのとき私は57歳だった。あなたは?」ということが会話のきっかけになることでしょう。

「スカイ・ハイ」記念日から、話はそれてしまいました。終わりまで読んでくれたあなた、ありがとう。